おはようございます。かけはし新聞7月号が完成しました。
健康寿命が終わったら
玄関で子育てをしていたツバメ五羽が巣立ち、店の周りを予備飛行し旋回しています。巣だった若いツバメは、電線でよく休憩をしていて、親よりも少し小ぶりなのでよくわかります。また、巣立つ前後は、家の周りに親戚であろう八羽ほどのツバメが集合するので、よく分かります。
みんなで大歓迎をしているのでしょうね。
さて、最近の新聞で「健康寿命」に付いて書かれていました。国の厚生科学審議会の部会で次のように示されました。
健康寿命(英: Health expectancy[1], Healthy life expectancy[2]) とは日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のこと。平均寿命から介護(自立した生活ができない)期間を引いた数が「健康寿命」になります。
その内訳は、2010年は
男性70、42歳(平均寿命は79・55歳)、
女性73、62歳(平均寿命は86・30歳)
平均寿命と健康寿命との差は男性で9・22年、女性で12・77年でした。平均寿命と健康寿命との差は日常生活に制限がある「不健康な期間」で、この間、この差が拡大しているとの事です。
さて、この「健康寿命」の定義について、あなたはどう思いますか?
との質問を受けました。
私は、「決められた命のある限り、「他の人」との関わりを持ち、「ゆめ」を持ち、「よろこび」が継続し、他の人のためになれる「しあわせ」を感じることの出来る事。また、何も出来なくても、床に伏していても、お人のことを思いやれる人生期間であろうと思います。
今まで、両親や多くのおやじやおふくろ達を見送りました。
私のおふくろですが、病が深くなり幾ばくもない命であったある日、夏やせで痩せこけた妻と共に看病をする事になっていた入院中のお袋の病室に入りました。
そこで、おふくろは妻に向って、
「そんなに痩せて身体が辛いのでしょう。家に帰って休みなさい。」
と、言った慈愛の言葉を今も忘れることが出来ません。
また、奥様の看病をしながら、ご自分の病と闘いながらも十数年もの間、薬草苑の活動を続けて下さり、助けて頂いていた八十三歳で昨年他界されたおやじがいました。
病棟で動けない身体になっても、会話はいつも薬草苑や鑑真和上ゆかりの奈良唐招提寺や中国大明寺のことばかり。だれが診ても、命が短いのが分かる状態ではあったのですが、病室での会話の中に、
「先生、今は行けないが、もうすぐ行けるようになるから。あの畑は、来春は当帰を植えようか。 甘茶がよいかな。」
亡くなられる一週間前のこと。私が鑑真和上ゆかりの中国揚州市へ渡航する前日におやじから電話がありました。
「気を付けて行ってきて下さい。この次は、一緒に行くから。」
いつまでも、私のことを気遣い、“ゆめ”を追い求めていた素晴らしいおやじ、私が旅行の報告に見舞った数日後に消えるように亡くなられました。
中略
「健康寿命」は確かに、他人に世話にならなくても生活が出来る年齢でしょう。
しかし、もう一つ、私がこれまでに教えて頂いた、「他の人のことを思いやれるやさしいこころのある期間」だとも考えます。
皆さんは、どのように感じておられますか。
本日の岐阜は雨です。自然の恵みですね。よい週末をお過ごし下さい。
漢方の野崎薬局鍼灸院 院長 野崎康弘
健康寿命過ぎたらどんな生き方をしたいですか?
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