薬草苑を始めて二〇年となりますが、万葉の頃の薬草を調べている中で、鑑真和上が来日された奈良時代にはどのような食べ物を食べていたのかと思い、少し調べてみましたので、皆様も一緒に今と比較してみて下さい。
この時代に発刊された『古事記』『日本書紀』『万葉集』を少し紐解いてみたところ、次のような食べ物が浮かんできました。
アシツキノリ(川海苔)、アズキ、アブラナ、粟、イタドリ、稲、イヌビワ、梅、ウド、大麦、オカノリ、青のり、オケラの若芽、橘、海藻、カシの実、カタクリ、カブラ、黍、葛、栗、クロクワイ、桑、コウニタビラコ、里芋、山椒、ジュンサイ、スモモ、スベリヒユ、スミレの若芽、セリ、ダイコン、ダイズ、タカナ、竹の子、タデ、ちがや、梨、ナズナ、ナツメ、菜の花、ニラ、にわうめ、ネギ、ノビル、ハコベ、ハス、菱の実、フユアオイ、ホンダワラ、マクワ瓜、松茸、桃、ヤマイモ、ユリ根、ヤブカンゾウ、ヨメナの花芽、ヨモギ、ワカメ、ワラビ。春の七草、のセリ・ ナズナ・御形(ハハコグサ)・ハコベ・仏の座(コオニタビラコ)・すずな(カブ)・すずしろ(ダイコン)の中で、この時代になかったものは御形のみ。
ダイコンやカブの根は現代のように肥大していなかったようで、葉を食べたようです。
また、梅や桃・梨・ナツメ・ビワなどは現在の物とは比べものにならないほどに小さく甘くはなかったと推測されます。
もちろんこれらは貴族という身分の方々の食事であったでしょうね。
鑑真和上は、当時最高の文化を持っていた中国での生活とは大きく異なるこのような粗食の中で、ご苦労をされつつ七十六歳で遷化されるまでの十年間、奈良にて過ごされたのです。
私たち日本人は、和を尊び、お礼の心を大切にする民です。こころより遺徳を偲び、お礼をしたいと思います。
○お知らせ
今年は鑑真和上が遷化されて一二五〇年をむかえます。命日は六月五日です。盲目になられても、五回の失敗にもかかわらず初心を持続され、当時は貧しかった私たちの日本に来られ、当時世界最高水準の仏教・美術・医薬・建築・書道などを教えて下さったのが鑑真和上です。私共は、一九九八年より「鑑真和上才花苑・薬草友の会」を創設し、二〇〇名ほどの皆様のご支援を頂きながら、お礼と遺徳を偲ぶ活動をして参りました。唐招提寺の薬苑の手伝いをし、薬草をお預かりしています。鑑真和上ゆかりの中国揚州市の大明寺に薬草苑を寄贈し、大明寺の若い僧侶三名の正眼短期大学への学資支援、鑑真学院への日本語教師の派遣援助などを行ってきました。
今回、六月七日には、「鑑真和上一二五〇年御諱」において、唐招提寺長老のご支援により能「鑑真大和上」を奉納させて頂くこととなりました。 このようなことが出来るのも、三十四年間、皆様のご支援を頂いたお陰と感謝しております。
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