今日は当院の鍼灸師 菅原先生の誕生日会です♪単身奈良から岐阜に来ているので、誕生日会くらいは開催!
でもファスティング中♪
ファスティングするって決めた時に誕生日を忘れてた(~_~;)
まぁまぁ〜
岐阜市民病院前のめいらく苑さんです!
菅原先生♪おめでとうございます(((o(*゚▽゚*)o)))
店長の佐々木さんがファスティングセット作ってくださいました!
本当に飛騨牛食べなかったのです。
周りが気を使いますね(笑)
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おはようございます。
ファスティング6日目の朝です
断薬カウンセリングから一日^ ^
今朝の体重は59.3キロ
まだ体重減りますね。
食べることを一切考えないですよ〜
今日はお昼過ぎまでカウンセリング、
夕方は車のメンテナンス♪
本日もよろしくお願いします。
【こだまとは ”丸ごと受け入れる”ことです。】
かつて、私たちのまわりにいてくれた、すてきな大人たちはこだましてくれる人たちでした。ころんで「痛い!」といったとき、両親は「痛いね」と私の痛さを丸ごと受け入れ、返してくれました。こだまは、「ヤッホ-」といったら「ヤッホ-」と半分の大きさになって返ってくるわけですから、「痛いね」と返してくれた時、私の痛さは半分になることができたのです。
しかし今、私を含めた多くの大人が、こだますことをしないで一方的に否定し、一方的に励ましていないでしょうか?ころんで「痛い」といったとき、「痛くない」と言ってないでしょうか?すぐに「我慢しろ」と言ってないでしょうか?このお父さん、お母さんなら愛してくれると思って生まれてきてくれた小さい人たちの「痛さ」を否定し、励ますだけで一度もこだましてあげることをしなければ「痛さ」は消えることなく生のまま、こころの中の辛さや淋しさや痛さという器に押しこめるしかないのです。
そして、中学生くらいになると、その器がいっぱいになってしまう子がいるのです。その子が新しい辛さや痛さに出会ったとき、もう入れることが出来ませんからいちど、思いきってその器をひっくり返して、カラにするしかないのです。いま、私たちは自分は自分、他人は他人と分離してしまいました。だから、みすゞさんは今、よみがえったといってもいいでしょう。私たちのまわりはすべて光と影のように、昼と夜のように見えるものと見えないもののように二つで一つなのです。二つで一つということをきちんと認識する行為が【こだま】なのです。
佼成出版 「金子みすゞのこころ」より。
日本は「子どもの天国」
・明治初期に来日し、大森貝塚を発見したことで有名なモース(1838-1925)
・Japan Day by Day
赤坊が泣き叫ぶ のを聞くことはめったになく、又私は今までの所、お母さんが赤坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない。私は世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国は無く、また日本の赤ん坊ほどよい赤ん坊は世界中にないと確信する。
https://www.facebook.com/yamauchi.ichirou/
より抜粋
今とは違いますね。